間違っていると思っていない
子どもたちが、間違った行動や、よくない行動を繰り返すことがあると思います。
例えば、歯磨きをしないとか、ゲームを長時間してしまうとかです。
いろいろな原因があると思うのですが、この歯磨きをしないとか、ゲームを長時間してしまうことは、子供たちにとって、間違っていることととらえられていないから、こうした問題行動を繰り返すのだと思います。
これは、大人にも、言えることがあります。
例えば、車の免許は持っていますか?
スピードを出し過ぎたり、交通違反をしていませんか?
免許をもらう時には、交通ルールを守る約束をしてもらっているはずです。でも、実際は、オーバーして捕まってしまったことはありませんか?捕まらなくてもオーバーしまったりしているのではないでしょうか?
きっと、それは、問題だと思っていないからなんですよね。
でも、実際は、問題ですね。
そういう時は、その結果、どういうことが起こってしまうのかを想像してもらうことが大事だと思います。
免許の更新の講習では、事故の映像をみせたりしますね。
小学校の掲示板には、虫歯になった歯の写真があったりもします。
ゲームを長時間して画面を見ていたら、視力が下がるという想像をさせたりします。
私たちが、間違った行動を繰り返してしまう一つに、問題だと思っていないという問題があるということですね。
私も、シートベルトで捕まったことがあります・・・・。
どういう対応をしますか?
これは、息子と同じ小学校の同級生の子のお話です。
その子は、昔から運動神経がよく、運動会でも、マラソン大会でも、小さい時から、小学校4年生のころまで、何をしても一番でした。
その子の家族も、周囲の方たちも、その子に、また一番だろうねと期待したり、一番、頑張ってねと言っていました。
その子も、それが当たり前のようになっていました。
ところが、小学生の5年生くらいから、周囲の子たちの成長の伸びがあったり、マラソンの距離が伸びてくると、一番になれなくなってくることが増えてきました。
そうなったとき、その子は、どういう行動をとったと思いますか?
結果、その子は、マラソン大会の時にケガをしたり、風邪をひいたりするようになったのです。
休んだり、途中で棄権したりして、負ける自分を回避するようになったのです。練習でも、最後まで走らなくなってしまいました。
そうしたとき親御さんは、どうしたと思いますか?
今まで頑張って1番になれと言ってきましたが、今度は、何番でもいいから最後まで頑張って走ってとか、休まないでとなったのです。
この子の行動は、親の高すぎる期待を下げさせようとしたしたことに繋がります。
また、この子は、失敗を繰り返して、臆病になってしまっていることもあると思います。
一生懸命頑張って最後まで走った方がいいことはわかっていても、「自分にはできっこない」「やって負けるのは惨めだ」と考えて、適切な方法よりも、安易な逃げ出すという不適切な行動に走ったのだと思います。
では、こんな子に、どんな対応をしたらいいのでしょうか?
この子は、やりきらないことを不適切だということは、わかっています。だから、最後まで走ったり、休んで逃げないほうがいいことも、わかっていると思います。実際、途中でやめたあとには、ふさぎ込んだりもしています。
でも、自分には、無理だという若干投げやりになっているところがあると思います。
そういう時は、見落としがちなその子の適切な行動(笑顔、努力、気遣い等)に、注目してあげることが大切です。ただ、その子だけに適切な行動に注目をあたえることは、その子を低く扱ってしまうことになるので、ほかの子のにも同じように対応することがも大切です。
ある子に、サッカーの試合で、シュートをしたことを、よくシュートしたなあと言ったら、どうせ俺は、たまにしかシュートできませんよって言った子がいます。本当にそう思っていても、ほかの子の同じような適切な行為にも注目をしていないと、その子を低く扱ったことになってしまいます。
ちょっと事例がわかりにくいですかね?
でも、やってできないのは惨めだとか投げやりになっている子には、そのやらなかった逃げていることにたいして注目を与えるのでなく、正しい行為に注目をしていってあげることが、大切だと思います。
一人前とは?
先日、普段いろいろ相談している師匠のお話を聞いてきました。
そこでは、一人前と、一流は違うということを聞かせていただきました。
最近の若い人たちは、就職して3年から5年して、大体の仕事を覚え出来るようになってくると、皆さん一人前になったと思って、自分は出来ていると思ってくるそうです。
でも、それは、仕事を覚えて出来るようになっただけで、一流になったわけではないということでした。
要するに一人前に仕事が出来るようになっても、それはまだ二流だということです。
一人前になったというのは、指示されないとできなかった半人前(三流)から二流になったということで、プロ(一流)になったわけでは無いということです。
なのに、自分は、もうできているつもりになってしまっているから、一人前で胡坐をかいてしまう人が多いということです。
ここに人生を良くしていく人と変えられない人の差が出てくるということです。
半人前の人は、はやく一人前になりたいと努力するのに、一人前になるとそこで腰を下ろしてしまう人が多いそうです。
本当は、そこからが、人生を変えていくところなのに!と嘆いておられました。
このお話を聞いて、私の場合、一人前にもなる前に腰を下ろしてしまったと思いました。
ここから、あらためて、一流になる様に努力をしていかなければと思いました。
子どもたちにも、出来るようになってからが大事で、細部にこだわっていくことを伝えていきたいです。
神様は、細部に宿るですね。
このちょっとしたこだわりが、一流にしてくれるのだと思いました。
スポーツなんかでも、一歩出すか出さないかなどの、ほんの小さな差で、結果が大きく変わりますね。
私も、なんとしてでもと、こだわらなければ。
感情的になった時
皆さんは、感情的になってしまって、そのままの感情を行動に出してしまったときはありますか?
私は、感情を出してしまう時があったんですよね。
先日、人は、感情とは違う行動をすることが出来るとかきました。でも、そのまま感情を出した行動をしてしまうことがありました。
そうして感情的になってしまって、行動をしたときというのは、だいたい、いい結果になっていなかったです。
なので、感情的に行動をしないために、感情的になったときには、その結末を考えておくことは大切かもしれません。
また、そうした感情的になったときには、あらかじめ、どうするのか?を決めておくといいかもしれませんね。
あとは、その場を離れたり、時間をおいたりすることも、いいかもしれません。
一度試してみてもらいたいですが、もし、感情的になりそうだったり、なってしまったときに、100mを全力で走ってみてください。
感情的になっていたのが、少し和らげる効果があるかもしれません。
身体を動かすことをすることで、感情に少し影響を与えられるかもしれません。
とにかく、感情的になったときに、そのまま行動してしまうと、いい結果になりにくと思うので、気を付けていきたいですね。
感情が教えてくれる
私も、皆さんもそうだと思いますが、悲しいと、つらいとか、悔しいというような、ネガティブな感情は嫌いですよね。
どうせなら、うれしかったり、楽しかったりする感情の方が好きですし、そういう感情でいたいなと思います。
でも、生きていくうえで、どうしても、ずっとうれしかったり、楽しかったりするのは、難しいですね。
逆に、本当にずっとそんな感情でいれるのでしょうか?その感情でずっといること自体不自然ですよね。
へんなはなし、らりってないとそんなことにはなりませんね。(笑)
つらい時や悲しい時があるから、うれしい時や楽しい時が引き立つのではないでしょうか?
また、つらい時や悲しい時は、それに伴う事象があると思うのです。
そう考えると、その事象が、本当はこうであってほしいとか、こうなってほしいとかの希望があると思うのです。
だから、こうしたネガティブな感情は、実は、自分にこうなりたいとか、こうしたいといった大切な思いを教えてくれているのだと思います。
そう考えると、ネガティブな感情をただ、うけて悲しんでいるのでなく、自分の大切なメッセージだと思うと、受け入れやすいと思いました。
と言いながら、私は、うれしいとか楽しいを追ってしまうのですが・・・。
感情をコントロールする?
みなさん、こんなことはありませんでしたか?
子どもの頃、母親にすごく怒られていたのに、玄関で、お客様がチャイムを鳴らしたら、
今までとは、まったく違う声で、「はーい」という声で、お客様を迎えているときがありました。
あんなに感情的に怒っていたのに、あんなに対応が変わるものかとびっくりしたものです。
でも、これって、以外と自分もそういう時あるなと思いますね。
みんさんは、どうですか?
ということは、人は、感情とは違う行動がとれるということですよね。
当たり前と言えば当たり前ですが、子供に対しては意外と感情任せに言ったりしていませんか?
感情をコントロールすることは、難しいかもしれませんが、感情とは違う行動を人は、選択できるということですね。
感情に任せて行動していたら、動物と一緒ですからね。
子どもたちに指導するときも、なんでわからないんだとか、何やっているんだとか、感情的にイライラしてしまうことはあると思います。
だからといって、感情的に言ったら、よくなるかというと、どちらかというと、怒られているのと同じような気持ちになるではないでしょうか?
なので、感情的になっても、必要な行動をすることを選択していきたいですね。
私も、まだまだ感情任せにしてしまうことがあるので、気を付けていきたいです。
双子のセレクション4
今回、ジュニアのクラブで一緒にやっていた仲間も、ジュニアユースのセレクションを受けていました。
でも、全員が受かるわけではありません。
今回も、同じチームから7人が受けましたが、結果は、4名のメンバーが受かりました。
一緒にやっていた仲間と別れなければならないのは、本当にさみしいです。
でも、セレクションのあるクラブを撰べば、必ず通らなければいけない道です。
だれでもオッケーのチームではないので、仕方がないです。
今回、双子の一人は、合格しましたが、4年前に長男は、ジュニアから、ジュニアユースには、進めませんでした。
その時は、なんでだろうと思ったりもしましたし、実力だから仕方がないとなんとか、自分たちを納得させていました。
でも、長男は、腐らずに違うチームでサッカーを続けましたし、今は、フリースタイルフットボーラーとして毎日練習しています。
ジュニアの時のコーチとは、そのチームのトップチームの試合の応援に行った時などに会って、話したりもしているそうです。
チームには合格できなかったですが、今でも会えば、コーチたちがそうして話してくれるのは、ありがたいなあと思います。
それに、今になって思うのですが、落とす方のコーチたちも、正直、かなりの覚悟をもって決断しているのだろうなと思いました。
落されたほうの気持ちばかり見ていた自分ですが、よく考えると、コーチたちも、落とすことで苦しんでいたのかもしれないと思いました。
自分だったら、数年間一緒にやってきた選手に、上に進めないことを伝えなければいけないのですから、そう考えるとつらいだろうと思ったのです。
長男が落ちたときには、目の前のことでそういうところまで考えが行きませんでしたが、今思えばです。
今回、四男と一緒に受けた同じチームの仲のいい子も、ジュニアで一緒でしたが、落ちてしまいました。
コーチもきっと、そうした決断をするのには、心を痛めていると思います。
私とは違い、皆さんは、そうした気持ちもすぐにわかってあげられるだろうと思うのですが、
子どもたちにも、コーチの気持ちも思いやってあげられるような子になってくれたら、きっとどこのチームにいっても必要とされる子になるのだろうと思いました。
私も、もっと相手の気持ちなどを気遣ってあげられるようにならなければと思いました。